ホリスティック医学の誕生医療・健康の分野では、還元主義的な現代医学や現代心理学にたいするオルタナティブとして、ホリスティックヘルス運動、ヒューマンポテンシャル(人間の潜在性回復)運動などが盛んになりました。
「全体論的な」という意味をもつ「ホリスティック」は日本でもかなりポピュラーになってきたことばですが、じつは「全体」を意味するギリシャ語の「ホロス」に由来しているという点では「ヘルス」と変わるところがありません。
つまり、「ホリスティックヘルス」という英語は、ことばに敏感な人なら違和感をもつトートロジー(同義反復語)です。
語源を意識してむりに直訳すれば「全体的全体」にもなりかねない、「くどい」ことばなのです。
それでもかれらがあえてこのことばを選んだのは、いうまでもなく、現代医学の専門分化傾向が極限まで進み、生命の必須条件である全体性が失われていることを想起させるための、一種の反義語としての効果をねらったものだったからでした。
人間はもともとボディ/マインド/スピリットが渾然一体となった存在であったはずなのに、現代医学は霊性をまったく無視し、精神性を著しく軽視し、もっぱら分子機械としてのボディだけを相手にしている。
しかも、そのボディもオーガニックな全身にではなく、故障した部品としての臓器だけに関心をむけ、化学的(薬剤)、物理的(外科手術・放射線)な介入に失敗したら部品を交換(臓器移植・人工臓器)することが治療だとかんがえている。
そうした現状を批判し、現代医学が定義する「疾病のない状態」「検査結果が正常値の範囲内にある状態」という狭量な健康観にたいするオルタナティブとして提出されたのが反義語的なホリスティックヘルスという概念だったのです。
ホリスティックヘルス運動に共感し、機械論的な生命観から生気論的な生命観(6章参照)にシフトした人たちは、さなぎが蝶に変態するように、みずからのライフスタイルをラジカルに変えていきました。
中国伝統医療やアーユルヴェーダの思想に学んで季節の変化にしたがった自然な暮らしをはじめ、車から自転車に、肉食から菜食に、精製穀物から全粒穀物に、競争的なスポーツから太極拳やハタヨーガに、コンクリートの住宅から木の住宅に、革靴からサンダルや裸足に、リズムを夜型から朝型にと、生活のしかたを一変させたのです。
内なる自発的治癒力を信頼する人がふえて、安易に現代医学の医師には頼らなくなりました。
健康上の問題が生じたときは、現代医学のオルタナティブとして、東洋の伝統医療やさまざまな民間療法の治療家を健康管理のパートナーとして選ぶ人がふえました。
出産も病院ではなく、むかしのように自宅での自然分娩を選ぶようになったことはいうまでもありません。
ヒューマンポテンシャル運動は、やはり還元主義的な現代心理学のオルタナティブとして生まれ、人間の可能性を拡大するための数々の試みに挑んだ人たちの実験の場になりました。
その拠点のひとつであるカリフォルニア州のエサレン研究所には、ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ、ロルフィングというボディワークの創始者アイダ・ロルフ、フエルデンクライス体操のモーシュ・フエルデンクライス、しSD療法をトランスパーソナル療法にまで発展させたスタニスラフ・グロフなどが長期滞在して、魅力的なワークショップをおこなっていました。
やがてホリスティックヘルス運動やヒューマンポテンシャル運動のなかから、対抗文化的な背景をもった医師たちによって「ホリスティック医学」という概念が生まれました。
ボディ/マインド/スピリットの有機的統合体としての人間を、その環境をもふくめて、まるごと診察の対象とし、患者のもっている自発的な治癒力を最大限に高めることを治療のねらいとする医学です。
そして「代替医療」運動は、そのホリスティック医学運動のなかから必然的に生まれ、ありうるべき代替文明の一翼をになうものとして、他の多くのオルタナティブな運動とゆるやかなネットワークをくみながら発展していったのです。
代替医療の認知ホリスティック医学を志す医師が人間を部分の総和としてではなく、オーガニックな全体としてとらえたうえで、患者の自発的な治癒力を高めるためには、故障した部品を修理するという戦略しかもたない現代医学のテクノロジーだけではとても対応できません。
そこで、そうした試みに有効かもしれないとおもわれるテクノロジーの候補として、現代医学以外の各種の療法がにわかに注目を浴びるようになりました。
ところが、現代医学にたいするオルタナティブとして、すでに対抗文化の人たちが発掘し、利用しはじめていたそれらのマイナーな療法は、当時の主流文化においては「外辺医療」という名のもとにひとくくりにされ、迷信的なカルト(異教徒的な少数者集団)として白眼視されていたというのが実情でした。
現代医学という主峰の裾野に点在する周縁部の点景という意味で「外辺」と呼ばれていたのですから、とても医学界がまともに相手にするようなしろものではなかったのです。
そんな医学界の空気に配慮していたホリスティック医学の医師たちは当初、「外辺医療」を導入するにあたって、慎重に「非正統的医療」
または「非通常医療」という用語を用いました。
対抗文化的な用語である「代替医療」という名称が保守的な医学界の反発を買うことを危惧しただけではなく、ホリスティック医学の陣営のなかにも「オルタナティブ」という新しい意味を帯びた用語になじみにくい人たちがいたからでした。
対抗文化が生んだ「現状にかわるべき、よりエコロジカルな」「より持続可能な」という新しい意味を帯びた用語「オルタナティブ」は、対抗文化が主流文化と正面から対決しているかぎり、主流文化の側にとっては容認しがたいものでした。
しかし、代替文化と主流文化の「対抗」的な関係は、時代が進むにつれてしだいに変容していきます。
六〇年代半ばから七〇年代初頭にかけて疾風怒涛のごとく高揚し、体制側と緊張関係にあった対抗文化は、七〇年代も半ばを過ぎるころには、その勢いが終息したかのようにみえました。
一気に高揚しすぎて燃えつきてしまったという側面もあります。
ベトナム戦争の終結が一種の文化的な空白状態をまねいたという側面もありました。
また、女優のシャロン:アイト殺害事件のような、持続可能性を優先するという思想を欠いた人たちによる、ドラッグカルチャーの否定的な側面を肥大化させたような事件があいついで、全体のポテンシャルが低下したという一面もありました。
ところが他の一面では、のちにインターネットによる「グローバルビレッジ化」が広汎に進んだことからもわかるように、対抗文化がもっていたオルタナティブ志向の傾向は、じつは主流文化のなかにしだいに浸透していき、主流文化に占める代替文化的な部分の比率がじょじょに大きくなるという結果をもたらしてもいたのです。
それは、対抗文化をになったかつての若者たちがコンミューンなどの仲間集団を卒業して社会に進出し、それぞれの分野でオルタナティブな改革の試みを実践しながら、その有効性を一般社会にうけ入れられやすいかたちで認知させていったことの結果でもありました。
生態系や人間性への侵襲という現代文明がもたらすマイナス面に気づく人がふえるにつれて、現状にかわるべき持続可能な文明というビジョンそのものが対抗文化の占有物ではなくなり、より普遍的なものへと成長をとげていったともいえるでしょう。
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